大学入学まで海外志向ゼロだった私が、いつのまにか英語バイリンガル・ITエンジニアとして働くまで #1
1. はじめに
初投稿の記事はタイトルの通り、全く将来像のなかった大学入学時からどのような経験を経てグローバルな環境でソフトウェアエンジニア(以降、ITエンジニア )として働けるようになったのか出来事をつらつらと書いていきます。
特に英語がマストであるということや海外志向が当然だということを啓蒙したいわけではなく、あくまで現在の自分を形成した出来事について述べていくだけですので、その点をご了承ください。
2. 大学入学直後の新入生歓迎会
2011年4月、都内某私立大学に入学。理系でしたが、いわゆるIT系の(情報系・コンピュータサイエンス系)学部ではない普通の工学部出身です。
入学後、特にやりたいことも見つかっていなかった私は高校まで続けていたサッカーを通じて友人を作ろうと新入生歓迎会に参加しました。振り返るとまずはここが一つ目のターニングポイントだったと思います。
それまでの交友関係は関東県内の高校・浪人時代に部活や受験を通じて知り合った友人が多く、いわゆる平均的な一般家庭出身の人たちがほとんどでした。
しかし、その会には日本各地からの地方出身者や帰国子女の同期など、今までの交友関係では繋がらないような人間がたくさんいました。しかも、ほとんどが親から大学生には十分すぎるほどの仕送りを支援してもらっている人たちです。今まで自分があまりにも閉じたコミュニティの中で生活していたことを実感した瞬間でした。
その会では、帰国子女の学生から色々な話を聞いたのが一番刺激的だったと記憶しています。当時の自分は英語学習など全く関心がなく、受験用に勉強していただけで到底話すことなどできず、純日本人で別の言語を操るその学生が衝撃的で単純に羨ましかったです。
大学入学の一年間はそのサッカーサークルで活動し、バイト・サークル・勉強と普通の学生生活を送っていましたが、その一年間で先輩たちがインターンや就職活動に励んでいるのを見て、なんとなく今後の学生生活の雰囲気を察しました。それと同時に自分も就職活動までにアピールできる何かを見つけないといけないなと漠然と感じていました。
3. 大学2年生時、突然思い立ったバックパッカー旅
そして大学2年生になった直後の4月に、ふとあることを思い立ちました。「そうだ、海外に行こう」です。当時の自分はそれまで全く海外旅行の経験がなく、まず何からしていいのかもわかりませんでしたが、とりあえずお金が必要なことは明白でした(笑)
夏休みまでに40〜50万円貯め、ヨーロッパ3〜4週間滞在を目標に決めました。レストランのウェイターとデリバリーピザの配達員のバイトを掛け持ちし、時間があればバイトをしていたことが懐かしいです。。。
理系の学生であったこともあり、授業とバイトの両立は中々ハードでしたが、人間目標があると頑張れるものですね。7月の終わりごろには目標の金額に達しました。
そして初めての海外旅行計画です。今でこそ、航空券はオンラインで購入するのが一般的ですが、当時の私は海外旅行といえばH.I.S、H.I.Sのカウンターに直接赴き、ヨーロッパ周遊を3週間くらいで考えていると相談したところ、8月後半にパリ着、9月中旬にフランクフルト発の航空券を勧められました。価格にして16万円ほどだったと思います。全く計画せずに行き先を丸投げしてしまいましたが、すごく良い提案をいただいたと思っています。
その旅は全く計画をせずに行き当たりばったりで楽しもうと決めていたので、当日の朝に宿泊するホテルを決めるスタイルで赴くままに各地を訪問していきました。このスタイルが、二つ目のターニングポイントとなる経験をもたらしてくれました。
当然貧乏バックパッカー旅ですので、滞在先はユースホステルのドミトリー。現地で知り合った様々な国籍・世代の人間と交流しましたが、どの人たちも圧倒的に自分よりも英語が話せました。。これには今までバイリンガルは本当に極わずかな人間のスキルだと考えていた自分の価値観が根底から覆されたような気になると同時に、「英語なんて簡単でしょ」「なんで英語話せないの?」と言われているような気がして恥ずかしくなりました。
それまで、英語はグローバルスタンダードだということを、あくまで風潮として感じていましたが、実際に目の当たりにしたのは初めてでしたので、良い意味でショッキングな出来事で、自分を真剣に英語学習に向かわせてくれた最大のきっかけとなりました。
そのバックパッカー旅の刺激も冷めやらぬ内に夏休みも終わりを迎え、また大学の平凡な学生生活が戻ってきました。英語学習をしたいと感じつつも、授業に追われる毎日で中々実行に移せない期間でした。
外国人の友人もいないため英語を話す機会もなく、座学で勉強するモチベーションも湧かずにモヤモヤしていました。また、大学に国際交流のサークルなどもありましたが、既に出来上がっていたコミュニティに飛び込む勇気もなく、さらに日本人同士で英語を話すことに恥ずかしさを感じていたこともあり一歩踏み出せませんでした。
そこで色々と調べたところ、当時から徐々に人気に火がつき始めていたフィリピンへの短期語学留学があることを知りました。
4. フィリピン・セブ島1ヶ月英語語学学校留学
この情報から再び英語学習のモチベーションが上がってきた私は、春休みに1ヶ月留学を目標に後期の学生生活を頑張ることに決めました。
2020年現在では英語語学留学先として人気のフィリピン・セブですが、2013年当時は今ほど参考となるブログや動画など情報が少なくクオリティについては未知数の状態でした。しかし、ひと月20万円前後でみっちり1日8時間の英語レッスンを受けられることだけでも魅力的でしたので迷うことなく参加することを決断しました。
語学学校入学にあたりTOEICのスコアを提出する必要があったので、初めて受検しましたが500点台だったと記憶しています(笑)。当時、他の学生が700点台が〜のような話をしていたこともあり舐めていた結果、全くスコアが出ませんでした。
この状態で語学学校へ入学した私ですが、その他5人の日本人留学生が同日に入学しました。ちなみに、学校は韓国人オーナーの経営で日本・韓国人の学生(社会人も若干名)が大半で、講師は現地のフィリピン人の学生です。
この同期の学生たちとの出会いがまた一つの良い経験だったと実感しています。同日に入学した1名はすでに900点以上のTOEICスコアを持っており、もう1名はボストンに半年留学経験があり、これまた800点以上のTOEICスコアを持つ学生でした。興味深かったのは900点以上のTOEICスコアを持つ学生の英会話力は、アメリカでの留学経験を持つ学生に到底及ばなかったことです。
要はTOEICスコアはあくまでリスニングとライティングの試験であり、スピーキング力との相関はないということです。この考えは今でも私の中で変わらず、「TOEICスコアは英語を話す必要条件であるけど十分条件ではない」と信じています。英語をある程度話せる人はある程度のスコアを持っているけれど、スコアがあるからといって必ずしも同レベルの会話力を持っているとは限らないということです。
余談でしたが、ここで1日8時間のレッスンを1ヶ月みっちり経験することで英語を話すことに対する抵抗感が全くなくなりました。経験から言えることは、1ヶ月で劇的に話せることはありえないけれど、自分の(似たような日本人は多いと思います)一番の欠点であるミスを恐れて話すことができない状態を解消することができたのはこの留学の一番の収穫だったと言えるでしょう。
細かい話をすると、よくフィリピン人にはアクセントがあるからと懸念する方もいるかもしれませんが、英語経験の少ない方には実質関係ありません。ある程度のリスニング力を兼ね備えた方であれば気になることもあるかと思いますが、ほとんどの方が自分のスピーキング力の向上に焦点を置いていると思いますので、その目的で言うと無視できるポイントです。
また英語学習以外について考えてみても、同時に発展途上国の現状を肌で感じることができたことも当時の私には非常に良い機会でした。
5. 次回に向けて
今回はエンジニア要素がすっかり抜けている経験談となってしまいました。次回からはその辺りのきっかけについても触れていきます。少しでも迷っている方々の参考になったり、共感できる点などありましたら幸いです。